東京高等裁判所 昭和54年(ラ)619号 決定 1979年9月19日
抗告人
山本敦
右代理人
興津哲雄
相手方
田代久晴
右代理人
佐藤久
同
伊藤博史
主文
本件抗告を棄却する。
抗告費用は抗告人の負担とする。
理由
一抗告人は、「原決定中、相手方の申立てを認容した部分を取り消し、右部分についての申立を却下する。」との裁判を求めた。その理由の要旨は、次のとおりである。
相手方は、抗告人の経営する麻雀荘に雇傭されていた間に、深夜の時間外労働をしたことを理由に、抗告人に対して時間外及び深夜労働の割増賃金等を請求し、その事実と就労時間を立証するため本件文書(売上伝票)について提出命令の申立をしたというのであるが、仮に右申立が形成的に要件を充たしているとしても、それは、次に述べるように、信義則に反するから許されるべきでないのに、これを看過して申立の一部を認容した原決定は、右認容した部分については違法であり、取消を免れない。
すなわち、相手方は、本件文書提出命令によつて証すべき事実の証拠として、先に<証拠>(相手方作成の売上金額等を記載した書面)を提出したので、抗告人は、その信用性を弾劾するため、<証拠>(いずれも昭和五一年七月ないし一二月の売上伝票)を反証として提出したところ、相手方は抗告人の右反証と同種の文書を相手方主張事実の証拠とするため、本件文書提出命令を求めるに至つたのであつて、これは信義則に反するというべきである。
なお、抗告人は相手方の申立にかかる文書中、昭和五〇年一二月より前に作成された分については、廃棄ずみであつて、現在所持していない。
二よつて考えるに、記録によれば、相手方は抗告人の経営する麻雀荘の唯一人の従業員として、昭和四八年三月抗告人に雇われ、就労して来たが、その間就労日ごとに、売上伝票用紙に営業用麻雀卓台毎の使用開始及び終了時刻、使用時間、使用料金額その他を記載し、これを営業主たる抗告人に提出していたこと、本件訴訟は、相手方が昭和五〇年一月一日から昭和五二年一一月三〇日までの間における、午後一一時以降の深夜時間外労働に対する割増賃金及び附加金の支払を求めるものであり、相手方は深夜時間外に就労した事実及びその時間を立証するために、昭和四八年三月二六日以後の売上伝票の全部につき、民訴法三一二条三号に基づいて提出命令を求めたのに対し、原審は本訴請求にかかる昭和五〇年一月一日から同五二年一一月三〇日までの間に作成された該当文書について、申立を認容し、その余は必要性を欠くとして却下したことが認められる。
三そこで、先ず本件提出命令申立にかかる文書が、民訴法三一二条三号前段にいう挙証者の利益のために作成されたものに当るかどうかについて考えるに、右文書(売上伝票)は抗告人の営業収入の状況を明らかにするために作成されたものであり、被用者たる相手方の利益のために作成されたものではないから、これをもつて挙証者の利益のために作成された文書とすることはできない。そこで次に、右文書が同後段所定の挙証者と文書の所持者との間の法律関係につき作成されたものに当るかどうかを判断するに、右のいわゆる法律関係について作成された文書とは、広く挙証者と文書の所持者との間の法律関係に関連する事項を記載した文書を指すと解すべきである。この見地に立つて考えるに、使用者が労働時間を延長しまたは深夜労働をさせた場合には、労働者に対して割増賃金及び労働者の請求によりさらに附加金を支払うべきことは、労働基準法の定めるところであり、本件においても、相手方は使用者たる抗告人に対して右のような割増賃金及び附加金の支払いを求めて本訴を提起したものである。しかして、本件文書は、抗告人の被用者である相手方が、使用者たる抗告人のため自己の担当業務について所定事項を記入して抗告人に提出したものであるが、その記載事項の中には、前記のとおり営業の開始及び終了の時刻が記載されているところ、右店舗において就労する抗告人の被用者は相手方一人であつたというのであるから、右営業時間の記載は、前記割増賃金及び附加金請求権の存否及びその金額を判断するに必要な相手方の就労時間算定の基礎となるべきものということができる。してみれば、本件文書は挙証者たる相手方と文書の所持者たる抗告人との間の法律関係に関連する事項について作成されたものというを妨げない。
それゆえ、抗告人は、相手方の申立に応じて本件文書を提出する義務があるものというべきである。
四抗告人は、相手方の本件文書提出命令の申立が信義則に反し、許されないと主張するけれども、その理由として主張する事実からは、右申立を信義則に反するものと断ずることは到底できない。他に、相手方の右申立を信義則に反すると目すべき事情を認めるに足りる証拠もない。
五ところで、文書提出命令の申立が認容されるためには、その提出を求められている者が、当該文書を所持しているのでなければならないが、本件文書は、相手方が抗告人に提出し、抗告人が所持するに至つたこと前示のとおりであるから、抗告人において右文書の毀減、紛失の事実について立証するのでない限り、抗告人が現にこれを所持しているものと認めるべきであるところ、抗告人が当審において提出した山本静名義の陳述書中には、昭和五〇年一一月以前の売上伝票は廃棄されて存在しない旨の供述記載があるが、これだけで右事実を認めるには十分ではなく、ほかに右事実を認めるに足りる証拠はない。
六以上の次第であるから、相手方の本件文書提出命令の申立は、昭和五〇年一月一日から同五二年一一月三〇日までに作成された分に関する限度で理由があり認容すべきである。
よつて、右と同趣旨に出た原決定は相当であり、本件抗告は理由がないから、これを棄却することとし、抗告費用の負担については、民訴法四一四条、九五条、八九条を適用して主文のとおり決定する。
(森綱郎 新田圭一 真榮田哲)